日本神経心理学会

神経心理学への誘い

神経心理学的な代表的症候

失認:何を見ているんだろう・聞いているんだろう・触っているんだろう?
平山 和美 先生(山形県立保健医療大学作業療法学科)

 脳の損傷によって,感覚には問題がなく,そのものを知らないのでもなく,そのものに気づかないのでもないのに,ある特定の感覚を通したときだけ,そのものが何なのか分からなくことがあります.この不思議な状態を「失認」と呼びます.

 そのような状態が,見るものについて起こったとき「視覚性失認」と呼びます.視力や見える範囲(視野)は十分なのに,自分が何を見ているのか分からなくなります.そのものを触ったり,特徴的な音を聴いたりすれば,すぐに何か分かります.視覚性失認のもう一つの特徴は,分からないのは見た形からであって,特徴的な動きを見れば分かるということです.たとえば,じっとしている猫を見ても何だか分かりません.けれども,見えないところにいても猫が鳴いたり,目をつぶっていても猫を撫でたり,猫が動いているのを見たりすれば,すぐに分かります.腕時計の秒針を止めて見せると何だか分かりません.けれども,目をつぶっていても,触ってもらえばすぐ分かりまし,音の大きい昔の時計ならカチカチ音を聞いても分かります.秒針の動いている腕時計なら見てすぐに分かります.視覚性失認には3つのタイプがあります.一番重症なタイプでは,見たものの形が全く分からなくなります.それより軽いタイプでは,見たものの部分の形と全体の形とをうまく関係付けることができなくなります.もっとも軽いタイプでは,見たものの形は完全に分かっているのに,そのものの形以外の知識とつなげることができなくなります.それぞれ「知覚型視覚性失認」「統合型視覚性失認」「連合型視覚性失認」と呼びます.驚くべきことに,形が全く分からないタイプの視覚性失認でさえ,見たものの形に合わせて躊躇なく,正しくつかむことができます(図1).まるで,脳の中には見たものが何かを意識する人とは別の人がいて,その人にはものの形が分かっているようですね.もっとも軽いタイプの視覚性失認では,ものの絵を何分の1秒という短い間だけ見せても,絵に網掛けして見せても,そのものの絵を十分正確に描くことができます(図2).しかし,描き終えた後でさえ,それが何かは分かりません.視覚性失認は,損傷される脳の右左や微妙な場所の違いによって,特定の種類のものに起こることがあります.生き物も含めた物品にだけ起こったり,人の顔だけに起こったり,風景にだけ起こったりします.それぞれ,「物体失認」,「相貌失認」,「街並失認」と呼ばれます.生きるために大切なものが何か(誰か,何処か)を判断するために,脳の特定の場所が用意されているのですね.

図1

図1 知覚型視覚性失認の患者さんが,厚紙を切ったもの(上の段)や粘土細工(下の段)をつかむときの連続写真です.番号は時間の順に番号を振りました.健常者と同様,手を伸ばす途中で指の開きが最大となり,それから閉じていき,対象に到達したときには正しくその大きさや形に合っています.

図2

図2 連合型視覚性失認の患者さんが,上の段に示したような方法で見せた線画を,書き写した結果が下の段です.(1)線画を見せ続けたとき,(2)線画に網掛けして見せたとき,(3)線画を1/4秒間だけ見せたときです.どの見せ方でも十分正確に書き写せています.

 失認が,聴くものに起こったとき「聴覚性失認」と呼びます.聴力,音の特徴を聞き分ける能力は十分で,音がどこから聞こえてくるかの判断,音がどう移動しているかの判断はできるのに,聞こえる音が何の音かが分からなくなります.そのものを見たり触ったりすれば,すぐに何か分かります.物や自然現象の音が何か分からなくなる「環境音失認」や,聴いた音楽が分からなくなる「感覚性失音楽」など,特定の種類のものが出す音についてだけ起こることがあります.

 失認が,触るものに起こったとき「触覚性失認」と呼びます.何かが触ったという感覚,熱い温かい冷たいという感覚,痛みの感覚,音叉の震えの感覚,関節がどちらの方向に動いたかの感覚,触られた2つの点を分けて感じる感覚,眼を閉じて触られた場所を言ったり触ったりするのに必要な感覚,手のひらに棒の先で書かれた文字を当てるのに必要な感覚,長さ,大きさ,重さの感覚は十分なのに,自分が何を触っているのか分からなくなります.そのものを見たり特徴的な音を聴いたりすれば,すぐに何か分かります.触ったものの形だけ,あるいは質感だけが分からなくなり,そのためにそのものが何か分からないタイプと,これらの感覚だけでなく形や質の感覚も十分なのにそのものが何か分からないタイプとがあります.前2つは「知覚型触覚性失認」,後の1つは「連合型触覚性失認」と呼ばれます.物の形が分からないタイプの触覚性失認でさえ,見えないところで触っても,ものを触る手や指の動きはものの形に合っていて滑らかです.まるで,脳の中には触ったものが何かを意識する人とは別の人がいて,その人にはものの形が分かっているようですね.

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