日本神経心理学会

神経心理学への誘い

神経心理学的な代表的症候

記憶障害:覚えられない,覚えていられない,思い出せない
數井 裕光 先生(高知大学医学部神経精神科学講座)

 神経心理学的な症状を表現する用語には,ややとっつきにくいものが多いですが,記憶障害は比較的,理解しやすいと思います.基本的には,情報を「覚えて(記銘し)」,「その後,一定時間,覚えておいて(貯蔵し)」,「思い出す(想起する)」という3つの過程のどこかが障害されて,情報が正しく思い出せなくなる状態です.私達の診療室には,記憶力が低下したことを自ら訴えたり,周囲の人に記憶力の低下に気づかれ,連れてこられたりする患者さんが数多くおられます.記憶障害はとても高頻度の症状です.ここでは,臨床場面で役立つ記憶,およびその障害のエッセンスを解説します.

①記憶と記憶障害の基本的事項

 私たちは,毎日生活する中で,常に多くの情報を受けながら生活しています.目からは視覚情報を,耳からは聴覚情報を,鼻から嗅覚情報を,皮膚からは触覚情報などを受けています.これらの情報のほとんどは記憶されずに直ちに消えるのですが,意識したり,注意が向いたり,情動が喚起されたりした情報が記憶として残ります.また試験勉強のように,覚えようと意図して覚える場合もあります.これらの記憶は基本的には,放置しておくと消失していきます.1か月前の些細なことを覚えている人はほとんどいません.しかし昨日の夕食のメニューは,健常者ならば覚えているのが普通です.このような健常者ならば覚えているはずのことを忘れていると記憶障害が疑われます.

②即時記憶

 情報が記憶されるためには,まずその情報が正しく脳内に入力(記銘)される必要があります.この情報が入力される際に必要な機能を即時記憶と呼びます.即時記憶は,入力された情報が,数秒から数分間,干渉が入らずに常に意識に上げておく機能です.臨床場面では,数字の順唱や逆唱などで評価されます.あるいは,Mini Mental State Examination(MMSE)の中に含まれている,3単語を聴覚的に提示された後に,直ちにこれらを繰り返してもらう3単語の記銘課題で評価されます.ここで3単語が言えたら,即時記憶は正常で,情報が適切に入力(記銘)されたと考えます.もしも即時記憶が障害されていたら,十分な情報を脳内に入力できません.臨床場面で,即時記憶が障害される状態には,せん妄,confusional stateなどがあります.これらの状態では,覚えておく機能や思い出す機能が正常でも,入力された情報がそもそもない(少ない)ため,思い出せる情報もありません(少なくなります).実臨床において,即時記憶の障害か,次に解説する近時記憶の障害かを区別することは重要です.

③近時記憶

 適切に入力された情報を,一度脳裏から消し去った後,数分から数日たった後に思い出す機能を近時記憶と呼びます.MMSEでは,3単語の遅延再生課題で評価されます.また現在使用されている記憶検査のほとんどは,この近時記憶を評価しています.即時記憶できた情報を,適切に思い出せた時には「貯蔵」と「想起」の両方が正常であったと判断されます.しかし想起できなかった情報に関しては,「貯蔵」,「想起」のどの段階で障害されたかを明確にすることは困難です.そこで臨床場面においては,「自由再生」と「再認」という2つの想起法の成否で障害過程を推測します.自由再生とは,記銘した情報を,何の助けもなく自ら想起すること,再認とは,提示された情報が,記銘した情報と同じか否かを照合することです.再認が出来ない場合には,「貯蔵」の障害と考えます.自由再生は出来ないが再認ができる場合は「想起」の障害と考えます.

④遠隔記憶

 遠隔記憶は,記銘してから想起までの間隔が,数日から年単位の記憶です.ただし,近時記憶と遠隔記憶の時間的区分は明確ではありません.遠隔記憶に関しては,前向健忘と逆向健忘の区別がなされることがあります.記憶障害の発症後に起こった出来事を思い出せない記憶障害を前向健忘と呼び,記憶障害の発症前に起こった出来事を思い出せない記憶障害を逆向健忘と呼びます.現在60歳の記憶障害の人の55歳の時の出来事の記憶は,遠隔記憶です.もしもこの人の記憶障害が57歳で発症したとすると,55歳の出来事を思い出せない症状は逆向健忘です.しかしこの人の記憶障害が53歳の時に発症したなら,55歳の出来事を思い出せない症状は,前向健忘です.また遠隔記憶を自伝的記憶と社会的記憶に分けることがあります.自伝的記憶とは,個人の出来事の記憶です.社会的記憶とは個人的には直接関わっていないが,ニュースなどで見た社会的な事件や出来事の記憶です.

図

 記銘から想起までの時間による分類

⑤エピソード記憶

 以上解説した②~④の記憶は,記銘から想起までの時間による記憶の分類でした.この分類とは別に,近時記憶と遠隔記憶には,記憶される情報の種類による分類があります.その中で,最も重要な記憶がエピソード記憶です.これは,「昨日の夕方に,友人のAさんとB駅で会った」,「昨日の夕食のメニューは〇〇で,家族と自宅で食べた」というような,時間と場所の文脈を含む記憶です.一般的な用語としての「記憶」はこのエピソード記憶にあたります.エピソード記憶の障害の原因となる脳領域としては,海馬,海馬傍回を中心とする側頭葉内側部,視床と乳頭体を中心とする間脳,前脳基底部が重要です.前脳基底部が障害された時には,個々の出来事はある程度覚えているが,それらの出来事の時間的順序や相互関係がわからない,自由再生は障害されるが再認は比較的良好という特徴を有する記憶障害が生じます.

⑥意味記憶

 意味記憶とは,「1年は365日である」とか,「太陽は東から昇る」というような知識に相当する記憶です.また「文字を書くための物で,黒鉛を含んだ芯があり,この芯を木などでできた軸にはめ込んだ物を鉛筆と呼ぶ」というような物の定義や名前,「利き手」という単語の意味も意味記憶に分類されます.これらの知識も最初は,〇年〇月〇日にA先生から教えてもらったというように時間と場所の文脈が含まれていたと思います.すなわちエピソード記憶であったと思います.しかし,これらの情報はその後の人生において,繰り返し思い出され,その時に再度覚え直しされます.この過程を繰り返している間に,時間と場所の文脈が弱くなり,知識としての特性が強くなったものが意味記憶であると考えられます.意味記憶には,側頭葉前方部・下部が重要と考えられています.
 自伝的意味記憶という用語があります.これは,時間と場所の文脈を含んだエピソード記憶に分類される記憶なのですが,繰り返し思い出す機会が多いため,意味記憶の要素を持っていると考えらえる記憶です.通った学校名,その時の先生や友人の名前などです.

⑦展望記憶

 エピソード記憶と意味記憶は,過去に記銘した情報を後に思い出す記憶でしたが,展望記憶は,例えば「今日,出かける時に傘を持っていく」とか「今日のPM5時にAさんと駅で会う」というような,「未来に行おうと意図したことを,一度,脳裏から消えた後に,適切に思い出し,実践する記憶」です.日常生活には欠かせない機能で,「何をいつするのか」というエピソード記憶に,「適時に思い出す」ことが加わった記憶です.展望記憶にはブロードマン10野(前頭極)が重要とされています.展望記憶を評価できる標準化された記憶検査としては,リバーミード行動記憶検査があります.

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