ヒトの脳は,左右の大脳半球に役割分担があり,右利き者の大半が左半球で話したり聞いたり,字を書いたり読んだりしています.つまり,一般的に「言語性優位半球」は左です.それでは,右半球は何をしているのでしょうか?―「空間に強い」というのが答えです.右半球に脳卒中が起こると,しばしば,左の方を見てくれない「半側空間無視」という症状が起こります.右半球の脳卒中後,リハビリテーションのために入院している患者さんでみると,4割前後にこの症状がみられます.
急性期では,右ばかりを向いている患者さんがいます.左側から声をかけても,こちらを向いてくれません.座って食事を食べるようになると,右側のお皿にしか手をつけません.あるいは,お皿の右半分しか食べません.車いすなどで移動できるようになると,左側のものにぶつかり,病室が廊下の左側にあると通り過ぎてしまいます.このような症状があっても,決して人の顔や物が半分しか見えないとは言いません.
右後頭葉視覚野の損傷などで,両眼ともに左半分の視野が見えない状態を「左同名性半盲」といいます.この場合,まっすぐ前を見つめていると,左半分の視野が見えないわけです.単純に考えると,左側が見えないからものを見落とすと思うかもしれません.しかし,視界の左が何かで遮られたら,頭や体を動かして,それをよけて左側を見ようとしませんか? 半側空間無視の患者さんは,左側の空間に意識が向かないのです.意識が向かないから,左を見ようとしないのです.
我々は,空間の中で,目新しいものを発見したり,自分にとって重要なものを探して見つけたりして,行動しています.聖徳太子は一度に10人の話を聞いて答えを返したといわれますが,それは普通の人間にはできない芸当です.同様に,外界にある多数のものを同時に見て詳しく処理することはできません.「注意する」とは,対象を選択して,どれかに絞って深く処理するための意識の集中を指します.しかし,ずっと1か所に集中しているわけではなく,周囲の変化や自己の必要性に応じて,注意の対象を柔軟に移動していきます.このような外界の対象に対する注意の集中と移動の過程の総体を「空間性注意」と定義します.半側空間無視は,右半球の病巣により,「空間性注意が右に偏った状態」を基本とした症状と考えてください.左側の空間に注意が向かないということは,「意識に上らず,あってもなくても関係ない」ということになり,見落としていると思わず,左を向こうともしないわけです.
最初に,左右の大脳半球には役割分担があると書きました.左半球は言語,右半球は空間性注意を担っているという考え方は大体当たっています.しかし,言語性優位半球の反対側の半球が空間性注意を担うというほど単純ではありません.例えば,右利き者の右半球損傷で失語が起こった場合を「交差性失語」といいます.この時,思いのほか,左無視を合併していることが多いのです.
さて,本題ですが,なぜ右半球が壊れると左側の空間を無視してしまうのかを説明しなくてはなりません.わかりやすい説明は,次の通りです(図1).左半球は,身体から見て対側の右空間にしか注意を指向できません.一方,右半球は対側の左空間だけでなく,同側の右空間にも注意を指向できます.右半球が壊れると,左半球による右空間への注意しか残らず,左無視が起こります.一方,左半球が壊れても,右半球が左右両側の空間への注意を担うことができるため,無視は起こりません.
図1 空間性注意機能の大脳半球側性化
左半球は,身体から見て対側の右空間にしか注意を指向できない.一方,右半球は対側の左空間だけでなく,同側の右空間にも注意を指向できる.
大雑把に言えば,その位の可能性を考えて,右半球の脳血管障害患者について半側空間無視の評価を行うのが正解です.しかし,無視が最も起こりやすい病巣部位は,側頭-頭頂接合部(下頭頂小葉)です.わかりやすく言えば,前頭葉の後ろの境界が中心溝で,その直後に感覚野のある中心後回があり,それより後ろが後部頭頂葉です.後部頭頂葉は,頭頂間溝という深い溝で上下に分けられ,その下が下頭頂小葉という無視の代表的病巣部位です.ただ,言語性優位半球のBroca野の鏡像的部位付近の右下前頭回後部とその周囲の損傷でも無視が起こることがあります.前述した空間性注意は,頭頂葉,前頭葉,視床とそれらを相互に結ぶ白質神経路で構成される神経ネットワークでコントロールされています.
代表的検査法は,抹消試験,模写試験,線分二等分試験,描画試験です.これらは,BIT行動性無視検査日本版(新興医学出版社)の通常検査で実施するのが一般的です.図2に代表的検査結果を示します.抹消試験には,線分抹消試験(A)のように紙面に散在する短い線分のすべてに印をつけるものと,標的と非標的が散在する中から,標的だけを選んで印を付ける選択的抹消試験(B)があります.左無視患者は,左側の線分や標的を見落とします.線分二等分試験は,20cm位の線分の左右の真ん中と思うところに目分量で印をつけてもらう検査です.真の中点から1cm以上右にずれたら,左無視はほぼ確実です.模写試験の代表的手本は花の絵(C)です.典型的には左半分を描かず,もう少し軽いと,左側の一部を描き落とします.描画試験は,結構個性的な絵を描く人もおり,左右のバランスで左に部分的書き落としや粗雑さがみられたときに無視ありと判断します.
図2 BIT通常検査における半側空間無視の所見
A:線分抹消試験,B:星印抹消試験,C:線分二等分試験,D:模写試験(花)
脳卒中後の半側空間無視が自然経過でよくなるのは,発症後1か月くらいまでです.一方,1か月以上続いた無視が完全に消失することはまれであり,無視の残存は自動車運転再開を控えるべき絶対的要因となります.次に,リハビリテーションですが,古典的作業療法としては,左側を向くように指示し,その際に探してほしい範囲の左端への目印を設定し,見落としをフィードバックする等の訓練が行われます.無視の重症度に応じて,課題の難易度を上げながら,訓練を進めます.このような意識的訓練とは別に,残された感覚ルートに働きかける方法や運動-感覚の協調に介入する方法もあります.前者では,左へ移動するランダムドットを追視することを繰り返す滑動性追跡眼球運動訓練が有力かもしれません.後者では,プリズム順応が最も広く臨床応用されています.Rossettiら(1998)の方法が元になっており,外界が右に10°シフトして見えるプリズム眼鏡をかけて到達運動を50回以上繰り返します.最初は,視覚情報に引きずられて,右にずれて指さしてしまいますが,繰り返すと新しい見え方に順応して,まっすぐ指させるようになります.この後,眼鏡をはずすと無視が改善する可能性があります.ただし,すべての患者に効くとは限らず,良くなる課題もあればよくならない課題もあるのが難しいところです.最近では,このようなプリズム順応を週に5日間,2週間程度実施することが必要と言われています.リハビリテーションとは異なりますが,左の頭頂葉に抑制性の経頭蓋磁気刺激を与えて,左右の空間性注意のネットワークのバランスをとったり,再組織化を促すと無視が良くなる場合があります.