日本神経心理学会

神経心理学への誘い

神経心理学的な代表的症候

失語:言葉がでてこない,人の話がわからない
松田  実 先生(清山会医療福祉グループ顧問,いずみの杜診療所)

1. 失語症とは

 脳の病気が原因で言葉が話せなくなったり,人の言葉が理解できなくなったりする状態を失語症と呼びます.構音を司る器官(舌や口唇や軟口蓋など)の運動障害によって呂律が回りにくくなる状態を構音障害と呼びますが,失語症は言語そのものの異常であり,構音障害と違って発話だけではなく理解,呼称(物の名前を言う),文字言語(読み書き)などさまざまな側面に障害が現れます.
 脳神経系の病気の中で最も頻度の高い脳血管障害の約2割に失語症が出現します.そのほかにも脳腫瘍,脳外傷,脳炎,変性疾患などの疾患によっても,失語症が出現します.したがって,失語症は非常にありふれた病態であり,失語症を正しく診断し適切に対応することは,脳神経系の診療に携わる者にとっては必須の臨床的技能であるといえます.

2. 「症候学」がすべての診療の基本

 最近は,画像診断や生化学的診断や遺伝子診断などの発達が目覚ましく,こうした技術だけで医療ができると勘違いされている方がおられますが,それは大きな誤りです.実際の臨床では,今そこにおられる患者さんがどんな症状を呈しているのか,なぜそのような病態に陥っているのか,を分析しないと正しい対応はできません.デジタル化されたデータだけでは適切な診療はできないのです.まったく同じ疾患でも,患者さんによって症状は異なり,したがって対応も異なってきます.特に失語症や高次脳機能障害や認知症の診療では,数値化されたデータ以上に患者さんの呈する症状の分析が最も大切です.さらに言えば,失語症だけでなく,すべての神経疾患の診療において,患者さんの呈する症状を正しく見極める「症候学」が最も重要であることを強調しておきたいと思います.

3. 話せば分かる失語症

 失語症の診療では,患者さんと直接にお話をして,その症状を把握することが重要です.逆に多くの失語症は,患者さんと少しお話をするだけで,診断がつくことが多いのです.決して難しいことではありません.その気になって失語症の基本を勉強し,患者さんと会話をして,患者さんの生の声を真剣に聞く診療態度が身につけば,失語症の診断はすぐにできるようになります.失語症の有無や失語型の診断ができれば,その特徴的な病像から病巣部位を特定できることも稀ではありません.これは画像診断の適応や読影にも大きな武器となるはずです.
 失語症の適切な診断が脳血管障害の診断や,さらには心臓病や大血管病変の診断に寄与することも多いのです.逆に失語症を見落とすことが脳病変の見逃しにつながる場合もよく経験されます.脳血管障害の診断では,いわゆる「麻痺や意識障害のない脳卒中」を見逃さないことが重要であり,そのためには失語症をはじめとする神経心理学的症状を見逃さない能力が求められます.

4. 認知症診療でも求められる失語症診断能力

 認知症の診療においても失語症をはじめとする言語の評価は重要です.認知機能のスクリーニング検査として頻用されるHDS-RやMMSEのほとんどの内容が言語を介する検査であり,言語障害があると実際の認知機能よりも低い結果が出て,解釈を誤ります.患者さんの言語機能はどうか,失語症はないのかという点を認知機能スクリーニング検査の前に評価しておくべきです.
 認知障害の中で言語症状だけが目立つ認知症の一群があり,原発性進行性失語と呼ばれて注目を集めています.原発性進行性失語の中に意味性認知症という病気は難病指定を受けており,医療費の補助を受けることができます.意味性認知症も患者さんと会話をするだけで診断がつく病気ですが,知らないと見逃してしまい,結果的に患者さんの不利益を招いてしまいます.認知症診療でも患者さんの言語を正しく評価できる能力が不可欠であることを知っておいていただきたいと思います.

それでは脳血管障害の失語症の中から,代表的な症例をご紹介します.

<症例1:Broca失語> 60歳代男性,右利き.

病歴:トイレに行ったがなかなか戻ってこないので,妻が見に行くと,トイレの中で倒れていた.意識は朦朧とし,呼び掛けても会話はできず,右上下肢が動かなかった.救急搬送時,呼びかけで開眼するも,すぐに閉眼してしまう状態.左への共同偏視を認めた.呻くような発声はあったが,発話はまったくなし.上肢に強い右片麻痺を認めた.急性期治療と同時にベッドサイドからリハビリテーションが開始された.1週間程度で意識は清明となり左手による経口摂取も可能となったが,右上肢の強い麻痺とともに失語症がみられた.
失語症の特徴:発話しようとする意思はみられるが努力性で発話量は少なく,しばしば中断した.発話はたどたどしく,音は歪んでおりとぎれとぎれ(断綴性)の発話であった.文は短く単語だけの場合も多かった.簡単な質問は理解しており,物品名を聞かせてそれを指示させる検査は正解したが,「鉛筆で時計に触ってください」という指示には正しく従えなかった.呼称も,復唱(検者の言葉を反復してもらう)も,読み書きも大きく障害されていた.
解説:発話面に重度の障害があり,理解はある程度保たれているが文法に依存するような文の理解は障害されています.これがBroca失語の病像であり,典型的には左中大脳動脈上行枝領域の脳梗塞でみられる失語です.(図1A

<症例2:Wernicke失語> 70歳代女性,右利き.

病歴:ある日の夕方から反応が鈍く,受け答えがおかしくなった.手足の麻痺はなったが,こちらの質問を理解できていない様子で,わけのわからないことを喋っていた.翌日も状態が改善しないため外来を受診した.
診察所見:開眼しており,意識はほぼ清明で,四肢に麻痺はなかった.構音障害も認めず,発話量も保たれており,時には多弁にもなったが,発話内容は意味不明であった.発話される音韻が崩れているわけではなく,文の形でしっかりと話しているのだが,文の中に入っている単語が異常であることが,発話が意味不明になっている主な原因であった.具体的には,単語の中の音韻を間違えていたり(音韻性錯語:鉛筆→えんぺつ),誤った語に入れ替わっていたり(語性錯語:鉛筆→消しゴム),日本語にないような単語が使われていたりした(新造語:新聞→へりょけりょ).理解は低下し,物品の指示は不良なことが多く,呼称,復唱も障害されていた.
解説:発話運動面には異常はないが,発話には錯語や新造語が多くみられ,理解面に重度の障害をきたしています.これがWernicke失語の病像であり,典型的には左中大脳動脈下行枝領域の梗塞で認められます.(図1B

図1
図1

<症例3:混合型超皮質性失語> 60歳代男性,右利き.

 徐々に悪化する右片麻痺と言語障害のために他院より紹介された.重度の発話減少と理解障害を認めたが,復唱は保たれていた.検者の言葉を取り込むような反響言語がみられた(「お名前は何と言いますか」→「お名前は・・」).MRIでは左半球分水嶺領域に梗塞が認められ,脳血流SPECTでは左半球の広範な低下,血管撮影で左内頚動脈閉塞が認められた.(図2
解説:発話も理解も重度に障害されているのに,復唱だけが比較的保たれている失語は,混合型超皮質性失語と呼ばれ,急性期にこの症状が見られれば内頚動脈病変を疑う必要があります.

図2
図2

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